コラム
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昔話
第4回「幌加内にて」
2004/02/27 Yoshida

私が入社した昭和36年6月は「北竜村一の沢農業用溜池工事運搬盛土工」の3年目にあたる年だった。その年度計画高も8月初旬で終了し、冬期間に河川護岸で使用する玉石を採取していたら、9月に入って急に配車係のO氏から「吉田、お前幌加内へ出張だ」と言われた。突然のことでもありムッとしながら「何故俺なの」と聞くと、「お前はまだ独身だから!寝具と洗面具を用意して行ってくれ…」とのこと。当時、幌加内峠を下ると右側に養蜂屋があり、その先300メートル位から深名線の踏切までの約1.5キロの道路改良工事を土木現業所から受注したもので、路盤砂利の採集運搬は赤平市の業者に下請させていた。幌加内橋下流河川敷地より砂利を採集し搬入するが、搬入路が設定されていないために町道、道々共に至るところ穴だらけの状態となり、当然のことながら地元から苦情が出て、その道路補修のため私のダンプが配車されたのだった。

初めて行く幌加内町鷹泊峠にさしかかると、道端のイタドリがバックミラーに引っ掛かり沢地に入り込んだ道路は一度で廻り切れない所も何箇所かあった。宿泊場所を幌加内駅前のM旅館に決め、助手と2人で寝泊りしながら河川敷地より手積みで毎日8台くらい砂利を運び補修する。その時、私はまだ免許を取ったばかりの新米運ちゃんで大きな穴ポコは避けられず度々穴にタイヤがハマった。当時、村には車という名の付く物は一台もなく土木現業所の4トン平ボディが月に一度来る程度。ハマったダンプは自力で上げるしか手はない。ジャッキで車体を上げてはタイヤの下に砂利を入れる。それを何回も繰返すしか方法がなく、ダンプの脱出に半日以上かかったことが一度や二度ではなかった。そんな時に限って助手のO氏が「下手糞だなあ」と聞こえよがしにつぶやくものだから情けない思いを何度もした。

ただひとつの楽しみは食事だったが、旅館の出してくれるご飯では足りないことが多かった。毎日が重労働なのですぐに腹がすく。特に助手のO氏は大飯喰らいの汗かきで、食事の時もねじり鉢巻でがぶがぶと喰うために目立った。ある日、旅館の婆さんに「もう少しご飯を多めにしてほしい」と頼むと、大声で「この大飯喰らいどもが!先月分の支払もまだのくせして、いやならとっとと出て行け!」と怒鳴られてしまった。あわてて会社に電話をすると「吉田君、今日中に支払うから我慢しなさい」と経理のMさんに慰められた。その後支払いが済んだのだろう、その日遅く仕事を終え旅館へ戻ると、あの婆さんが黄色い声を出し「ご苦労さまでした」と言った。今更ながら人間というのは現金なものだなあと実感した。

道路補修も無事終わり、11月初めに沼田へ戻るまでの2ヶ月足らずの短い期間でしたが幌加内での出来事は42年間の勤務の中でも忘れられない思い出の1ページです。

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