コラム
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昔話
第2回「百選練磨・歴戦の勇士」
2002/06/15 Kinoshita

浅野と昭和の山へ庭木を取りに行く、と言われて閉山したばかりでまだ引越しや後片付けをしている人もいた炭住の庭を、置き捨てにされた中めぼしい植木を探して、ゴーストタウンなりかけの街をうろつき回った帰り道に寄った所が、私が入社した年の秋から冬をすごした恵比島の水路工事の現場でした。ミキサーを組立、現場練りの生コンを小型ダンプで運びコンクリ打ちをしたL型とカルバートの工事でした。木古内や知内方面から一夏出稼ぎに出て来ていた人夫達と一緒の廃止になったばかりの留萌鉄道の事務所を借り上げた飯場でした。

秋遅くの雪の降りそうな朝、連日暗いうちに起こされて、廊下に並べられた朝飯を裸電球の下で黙々と食べ、足もともやっと見えるかどうかの道を一列になって歩き、ついた時朝が来る。入社1年目、今から想うと仕事の上で特に印象に残る情景でした。飯場の若い衆も会社の人も、あの頃はほんとうに良く稼いでいたと思います。何ヶ月も家へ帰らず出稼ぎに来ていた人たちは、強い雨で仕事の出来ない日以外、日曜祭日関わらず、風呂から上がって食事時一本の焼酎を楽しみに、皆良く働いていたと思います。

「しないで済む苦労はしない方が良いに決まっています」「若いうちの苦労は買ってでもしろ」この二つの言葉、昨今の週休2日、時間短縮の時代、子を持つ親の立場にもなり、自分の子供や若い社員には、苦労をさせるのが良いやら悪いやら、つくづく考えさせられる時代です。建設業は経験がものを言います。多様な現場をたくさんこなし、多種の経験を経てきて、一人前の企業人となれる。冬の間内地へ出張するのも、少ない年数の内により多くの現場をみれるという事ですごいと思った事もありました。秋霜四十年みんな良く稼いで来たんだと思います。

様々の事件、事故、恥ずかしくもある新米の頃、もうからなかった現場の話。しかし、これは文句なし貴重な財産です。時代をさかのぼる事が出来ない以上、これから再び得られない貴重な集積された財産でしょう。

(中略)

星マンタロウ、戸嶋のトット、加茂チン、佐々木のスピッツ、なぜか本名は憶えていないが、懐かしい面々が、外は雨か雪でもストーブの赤々と燃える飯場や事務所で、ツバを飛ばして仕事の自慢話をしていた姿を想い出します。おかげさまで私もなんとか幸せにやっています。夜も更けています。想い出が巡ります。コップに焼酎、目を瞑り、さあ乾杯!!

─ 40周年記念誌より抜粋 ─

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