コラム
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昔話
第1回「私の思い出」
2002/05/01 Yoshida

28年前の5月、沼田の駅に降りて駅前のタバコ屋さんで私のいく先をききますと「踏切りを越えると右手の方向に赤いレンガの煙筒に白文字で宮脇産業と書いてあるよ」と教えられその煙筒目当てに行くと、遠くから見えた白文字のレンガ煙筒、これが宮脇建設と私の出会いであった。特に高くはない、特にきれいでもない、崩れそうで崩れない、あの赤い煙筒が私の第一歩であり心のシンボルでもありました。

私の入社当時は寮もなく独身の連中は会社の役員さんと同居で食事も丸テーブルを囲んで一緒にするので横見することもできずただ黙々と食べるだけでした。

6月に入ると「北竜村一の沢ため池盛土工事」が始まり、私にも先輩のお下がりのダンプが与えられた。座布団はボロボロ、バネが飛び出していてボロ綿で作った座布団を一枚敷いて乗りました。エンジンを始動する時は車の前でクランク棒を廻すのですが今の時代では考えられません。運転回数で一日150回くらい走ったと思います。マンボー取りの人がいて数えているので大変でした。また、現場事務所の土間にレベルを据え付け毎日の盛土高さをチェックする代人さんもいた。盛土工事が終了すると護岸工事の玉石採取。川の中までダンプを入れ一人で積込をする。川の中のことゆえ思うように身動きがとれず石は重くはないが、腰より上はとても重い。ある日、一日の作業が終わって腰下までびしょびしょに濡れて飯場に戻ると炊事の鬼ババアが、今ごろ来ても飯なんかないぞと怒鳴った。一瞬目の先が暗くなり体がガタガタ震え、涙が出たものでした。

(中略)

昭和48年から現場を担当するようになり、技術者といっても名ばかりの車の事しか知らない私に現場の技術を教えて下さいました先代の会長初め、先輩の皆様に感謝申し上げまして、私の小さな思い出を文にしました。創業の精神永遠の繁栄をお祈りいたします。

─ 40周年記念誌より抜粋 ─

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