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創業50周年を迎える
当社は平成10年10月4日で、創業以来50周年を迎えた。
その道は振り返ってみれば決して平坦な道ではなかった。あるときは存亡の危機に立たされ、あるときは順調に業績を伸ばした。
ある日宮脇敬が、「一夜にして頭髪が真っ白になるというが、そんなことはないようだ。そういう経験はしたが、白くはならなかった」と冗談めかして言っていたことがある。詳しくは語らなかったが、宮脇建設も過去において幾度かそんな状況に遭遇しているということだろう。だからこそ、財務内容の充実に心血を注いだのであり、今の安定があるのだと思う。
ともあれ、当社は無事に半世紀を生き延びることが出来た。そして、この日を境に我々は次の半世紀へ向けて新たな一歩を踏み出していかなければならない。しかし、その前に我々がやらなければならない事がある。それは、過ぎ去った50年間の反省だろう。
宮脇建設が半世紀の間に得たものと失ったもの
半世紀と言えば、企業の寿命(企業にも寿命というものがあるらしい)として考えれば、決して長いとはいえない。
しかし、振り返ってみれば、数多くの得たもの、失ったものがある。
これから新たな半世紀に向かって一歩を踏みだすためにもこうしたことをひとつずつ、正しく評価することが最も大事なことだろう。
得たものは数々あるが、ひとつ上げれば社会的な信用力である。
決して楽な道を選ばず自助努力によって一生懸命に働けば、必ずそれに相応しい褒美がある。そして、社会的な信用はこのような地道な努力を抜きにしては絶対に得られるものではない。この信用力は揺るぎ無く、何にも代え難いものである。
失ったものは、荒々しいまでのファイティングスピリットである。
当社の受注額は、昭和50年代の終わり頃から年によって多少の差はあるものの、ほぼ横這いの状態に入った。また、ある程度の貯えもできて会社の中にも余裕のムードが漂い出した。そのことが社員一人一人の安定志向に繋がり、闘争心を失わせることになったのかも知れない。
もはや以前のような右肩上がりの経営は望めない。それどころか受注額にあっては間違いなく下降線をたどるだろう。こういう時代だからこそ生き残る為に今一度、創業時のファイティングスピリットを取り戻さなくてはならないのだ。
変革の時代
当社の40周年から50周年の間の10年間は、建設業を取り巻く環境も、建設業界内部も、これまで経験したことのないような大きな変革の時代だった。
一つは、いわゆる55年体制の崩壊であり、二つ目は建設業の市場開放であり、三つ目はバブルの崩壊と、その後遺症の直撃であった。
大きければそれだけ安定していると思われていた業界の常識が見事に裏切られ、中堅の建設会社がいとも簡単に倒産するのを、現実感のないままに茫然と眺めていた時代でもあった。銀行でさえも倒産していくような時代なのである。
公共事業費の縮減と、追い打ちをかけるような事業費単価の切り下げ。建設業法改正による、有資格技術者の確保を条件とする中でのコストの縮減。どれを取っても、尋常の問題ではない。
もはや、共存共栄の時代は過ぎ去り、猛烈なサバイバルの時代に突入しているといってよい、そんな時代である。
新戦略の実行始まる
こうした極めて劣悪な環境の中で、当社が打ち立てた新戦略は次のようなことを基本とするものであった。
- 成果品で勝負をすることを第1目標とする。
- その中で、無駄な手順、無駄な時間を徹底的に排除し、生み出された時間を品質管理など成果品の向上に結びつけるとともに、適正な企業利潤を得るための自社独自の管理システムを構築する。
- 社員が一丸となって、取り組みを進めることの出来る社内体制を整備する。
- 社員個々の持っている能力を、最大限に発揮できる適材適所の人事を心掛ける。
- グループ企業を横断的に通す情報網を構築し、トータルで企業活動を活性化しうる体制を整備する。
この手始めとして先ず第1に整備されたのが、コンピュータシステムの構築である。ソフト開発を手がけるグループ会社を中心に整備が進められて、札幌、北空知、南空知、道東の各拠点にサーバーを設置した。これは、ひとつの情報をグループ企業内で横断的に共有するためである。個人レベルでは、全グループ企業で一人一台以上のパソコンを配置した。コンピュータを使うことは目的ではなく、あくまでも手段である。これまでの仕事を単にコンピュータ化するだけでは、膨大なコストの上昇で終わってしまう。
現在は、グループウェアによる情報の共有、グループ決算を始めとした基幹システム、原価計算を含む現場管理、Webによる基幹データベースのグループへの公開等様々な分野での情報化が完了している。また、当社では土木建築関係の資格を取ることと同じくらい、システムアドミニストレーター等の情報処理技術者資格の取得を奨励している。
人事を根本から考え直す
今まで、ともすれば技術系、事務系、営業系と縦割りに考えられていた人事を、発想を変えて、「先ず初めに、全員が宮脇グループの社員である」という原点に戻るところから始めた。この結果、人材がグループを横断し、部署を横断するようになった。
これまでは、自分の得意分野だけを限定的にやっていれば良かったものが、これからは経験したことのないような分野の仕事もやらなければならない。慣れない仕事をこなすことは体力的にも精神的にも厳しいものがある。しかし、それを乗り越えた時に社員個人の能力の幅が広がり、結果としてグループ全体の力を押し上げることになる。これからの時代は、社員個人の能力を自ら上げる努力をする事が企業内で生き残る唯一の方法なのかもしれない。
サバイバルの時代はある意味で大きなチャンスである。長期的に見れば、建設業そのものがこの世から不要となることは絶対にない。
ISOの導入
平成11年、新たにISOが導入された。
その品質方針は「品質探求に徹し顧客の信頼と満足を得る確かな製品とサービスを提供する」である。時代の要請によって導入されたISOは、確実に会社の核になりつつある。
齋藤祐一、社長に就任する
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平成10年に志羅山繁から社長職を引き継いだ山下俊廣は、そのバトンを更に平成13年4月、齋藤祐一に渡した。新しい時代に向けたグループの体制も、いよいよ仕上げの段階を迎えたわけである。新たに社長に就任した齋藤祐一は、北海道大学農業工学科を卒業後、昭和46年宮脇建設に土木技術員として入社した。その後、取締役工事部長、常務取締役、専務取締役を経て今回のトップ就任となった。
景気の後退、国の赤字財政に伴う工事予算の大幅な減少など最も舵取りが難しい状況で当社の将来を託されたわけである。グループが総力を結集して、この新しいリーダーを支えていかなければならないことは言うまでもない。
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齋藤 祐一
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昭和60年代〜現在までの主要工事実績
高度経済成長時代を背景に、工事の施工地域においては空知管内を中心に全道各地に拡大した。
その内容においても、従来通りの農業土木、道路改良などの他に、都市土木、河川整備、公園整備など多種多様な工事へと展開する事になった。又、道内の中央と地方を結ぶ高規格自動車道などの大型工事へも参画している。
↓深川自動車道 |
日高自動車道↓ |
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↓穂別道路(楓・千坂・福山) |
沼田高校外構↓ |
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↓北海北用水路 |
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↓沼田水管橋下部 |
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↓旭町住宅新築 |
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↓滝川工業高校新築 |
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