コラム
・社史
〜半世紀を振り返って〜
− 完 −

社史〜半世紀を振り返って〜
第4節「人材群の整備」
大卒新人の採用を進める

宮脇建設が、新人技術者の採用に本腰を入れだしたのは昭和42年からである。始まりは、北見工業短期大学(現在の北見工業大学)を卒業して入社した北島良弘だった。この後、いわゆる大卒が続々と入社して来ることになる。

当時の技術者は、現場が出るとまず議論を重ね、それから現場に入った。また、「今は儲からなくても、将来につながることならやるべし」という雰囲気でもあった。肉体的にはハードだったが、心のうちには燃えるものがあったようだ。

日本コンサルタントグループによる社員教育開始

昭和47年2月、社内教育の一環として日本コンサルタントによる社員教育が始まった。

最初は、幹部社員の意識改革である。企業展開の持つ意味、望まれる展開の方向、具体的な行動等についていわゆるブレインストーミングが行われた。

このあたりのことは、当時の関係社員の追想記にも詳しくは記されていない。話によると、冬季に重点をおき、繁忙期にも仕事と並行して、あるときは会社の会議室で、あるときはホテルで何日も缶詰になりながら取り組んだ。

その当時確立されたこととして

  1. コンセンサスの得られた企業目標を持つと同時に社員全員がそれを充分に理解する。
  2. そのうえで、それを達成するための組織を作る。
  3. 社員一人一人を、この組織に張り付けて、責任と義務を明確にする。
  4. 具体的な企業活動の一つ一つを書き上げ、それを的確に実行する。

などがある。この結果、当社独自の実行予算書の作成や現場管理の方法とそのマニュアル、社内資源としての作業員・資材・機材等のリストなどが明確にされ、従前の大福帳的なやり方から大幅な改善がなされた。

職務基準書を作成する

社員教育の結果として、職務基準書が新たに策定された。

「会社という一つのシステムの中で、それを構成する社員一人ひとりが何をなすべきかをこの職務基準書で明確にすることで、その責任の範囲内で自由に前向きに仕事に取り組む事を可能にする」というのが目標だった。

この職務基準書は、行動評価基準書に形を変えて今に引き継がれている。

経営会議が始まる

経営会議は、いわゆる常務会のような少数の経営陣によるトップダウン方式を敢えて排除し、現場に近い中堅職員の意見を直接会社経営に反映させることを目的に創設された。この中で活発な議論を交わすことにより、今まで見えなかった問題点を抽出し更には会社全体を活性化させることに狙いを定めたものである。これは、昭和53年から導入された社員持株制度と相俟って社員の経営参加体制を確立することに大きな役割をはたした。

部門別行動目標の設定

次の課題は、毎年の具体的な行動をどうするかということだった。総体的な企業理念、企業方針が決まったとしても、それを具体的に達成できなければ「絵に描いた餅」になりかねない。そこで、採用されたのが部門別行動目標の設定である。

具体的には、各部門(工事部・営業部・総務部など)別に、その年の経営目標を達成するために、何をどう行動すればよいかを所属部員全員参加の下に討論し数点の行動目標を設定する。そして、それを各部門間で発表調整し実行に移す。年度末に反省をして、結果を次年度以降につなげるというものである。

現在、その手法はISOを媒体にして、社内の品質目標から部署目標へ、部署目標からさらに個人行動目標へと具体化され実行・検証するという形で引き継がれている。

土木試験室を作る

宮脇敬の当時の言葉に、「早くまともなコンクリートを打てるようになることが当面の目標」というのがある。この頃いわゆる「土物」の受注が多かったから、成果品の品質を確保して発注者のニーズに応える為には、土質を正確に把握し、それに沿った管理をすることがどうしても必要だった。このことにより、昭和46年土木試験室を作った。また、発注者の要望に責任をもって応えるという考え方から社内検査体制の整備も同時に進めた。これは、後に「技術」を最大の売り物にしていこうという当社の考え方に重大な影響を与えた。

土木試験室
土木試験室
本州の建設会社と技術員の相互乗り入れを開始する

相互乗り入れのきっかけになったのは、日本コンサルタントの仲介だった。つまり、本州の方でも、当社と同じような考えでコンサルティングに取り組んでいた会社があって、これらの会社が、コンサルを介してネットワークを作り、繁忙期の違う条件の下で相互補完的に技術の向上を目指して取り組んだのがきっかけである。

ただ、長期にわたっての、慣れないところでの生活は大変だったようで、派遣された人には色々な思い出があるようだ。

昭和20〜40年代の主要な工事実績

創立の頃、土木工事では農地回復の為の災害復旧護岸工事を受注、沼田町を中心に近隣市町村へと展開した。又、建築においては近隣の小学校新築工事をはじめ、運動場、公営住宅新築など教育施設主体工事でのスタートだった。

食糧事情が良くなかったこともあって、農地開発事業の促進が急務であるとされた時代である。宮脇建設においても、当社発展の基礎となった圃場整備事業、溜池整備事業などの農業土木工事を空知全域に渡って取り組んだ時期でもあった。

一の沢ダム
一の沢ダム

沼田小学校校舎改築
沼田小学校校舎改築

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