コラム
・社史
〜半世紀を振り返って〜
− 完 −

社史〜半世紀を振り返って〜
第2節「建設業者として」
宮脇敬、入社する

昭和38年5月、宮脇敬が北海道開発局を退職し宮脇建設に入社した。

宮脇敬は、創業者 宮脇吉春の長男で昭和8年生まれ、深川西高から北大工学部土木工学科に進み、卒業と同時に建設技官6級に採用、北海道開発局に出向し室蘭開発建設部を振り出しに国家公務員の道を歩んでいた。

当時の宮脇建設は受注額において順調な伸びを示していたが、品質を優先するあまり採算性を考慮しない傾向が現場内にあり、会社の財務内容は火の車だった。宮脇敬はその頃のことを会社の記念誌の中で「入社して会社の実体を見たときは茫然とした」と書き記している。

宮脇 敬

宮脇 敬

宮脇敬が「入社して真っ先にやらなければならないと思ったこと」として、

  1. 会社は人間集団であるから、それを機能よく稼働させるために組織化すること。
  2. 内部不正行為を無くすること。
  3. 良いコンクリートを打設出来るように技術力を高めること。

の3点を上げている。

会社の舵取りはトップの仕事だが、動かすのはあくまでも組織であり人間である。その事を第一番目の目標に掲げている。宮脇建設を宮脇家が継承するのは当たり前と考える人がいる。しかし、彼が目指したのは「個人商店」ではなく「本当の意味での株式会社」を作ることだった。そのためには多少給与が高くても優秀な社員を採用することが重要と考えたのである。

いずれにしても、宮脇敬が入社し内部改革を進めたことで現在の宮脇建設の基礎が築かれたのだ。

組織改革を行う

宮脇建設の新たな一歩は、

  1. 総務・工務・施設の3課制による社内の組織化
  2. 常務取締役制の導入
  3. 社是・社訓・経営方針の設定と社員心得の策定
  4. 就業規則の見直しによる社員の権利義務の明確化
  5. 辞令交付による社員所得の明確化
  6. 年度計画の樹立
  7. 工事台帳の整備による、合理的な施工管理と原価意識の高揚
  8. 事故絶滅を目的とした中央安全衛生委員会の設置
  9. 良質な作業員の募集と組織化

から始まった。これらの整備に、ほぼ9年を要している。

工事施工の合理化を進める

建設業は、「請負業」をもじって「請け負け業」といわれる。これは、工事を施工する前に受注額を決める為、実際に工事が完了した段階で利益が上がるかどうか分からないという意味である。企業経営として考えた場合、このような出たとこ勝負の結果オーライでは経営が成り立たない。

そこで、宮脇敬は生産ラインの整備を進めるとともに、完工高・給料・賃金・諸経費等についてそれぞれ目標を立て、その実現に向けて最大限の努力をする事が重要だとして、

  1. 従前の大福帳方式を廃止し、年度計画を立てること
  2. 受注した工事毎に台帳を導入し、原価意識を持って工事を施工すること

を始めた。

従業員福利の充実を図る

昭和49年に、それまで加入していた砂川社会保険事務所の健康保険から、全国土木建築国民健康保険組合に加入替えをした。53年には、建団連共済会滝川支部に社員労災保険の上乗せ保険を加入申請、更に昭和63年に、北海道建設業厚生年金基金に加入するなど、その時々の福利厚生制度に全て加入している。

これとあわせて社内的にも

  • 社員旅行積み立て会に対して補助を行う
  • 親睦会を結成し、補助を行う
  • 社員婦人による交遊会を結成し、補助を行う
  • 社員・家族による研修旅行 を行う

などの、社員・家族のための行事が頻繁に行われていた。

親睦会 研修旅行
親睦会 研修旅行
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